社員ブログ2月号
こんにちは
社員ブログ2回目の本課のSSです。コロナも3年目を迎え、ついに身近にも発生してしまい、
うんざりです。どこにも旅行できず、マスクをしたままの生活ですが、なかなか私は慣れません。
しかし、家族はもう人前でマスクは外せないなどと言っており、
世代間のギャップを感じてしまいます。
今となっては、20年前の香港のSARS騒ぎも大したことはないですね。
3年位前までは、SARS体験者ということで、いろいろ人にウンチクを述べられたのですが・・・。
ということで、懲りずにまたもやSARSの時のことを書いてみたいと思います。
2003年、中国の広東省にて発生したSARSは、あっという間に香港に上陸しました。
広州から来た医師が、我家から200m先のビジネスホテルに滞在し、1人で16人に
感染させるスーパースプレッダーとなり、あっという間に香港がSARSの巣窟となりました。
マンションの掲示板に毎日、今日の感染者の住所(マンション名まで)が貼りだされるようになるまで、
1週間も掛かりませんでした。毎日多くの人が感染していましたが、
不思議だったのは韓国人と日本人だけがまるで、感染しませんでした。
その時は、納豆とキムチ等の発酵食品が感染を妨げているという話がまことしやかに語られ、
我々も毎日一生懸命納豆とキムチを食べました。
その他にヤクルト、長ネギの青い部分の粘々したところ・・・、
など、いろいろな食べ物が噂に上がりました。
また、日本領事館には在留邦人への説明のため、
岡部信彦さん(当時国立感染症研究所感染症情報センター長)がいらっしゃいました。
香港では在留邦人に、香港に留まって帰国はしないでほしいとおっしゃり、それで終わりましたが、
深圳では、ほとんどが工場の方のため、血の気も多く、我々に帰ってくるなということか!
と罵声が飛び交じったという噂を後から聞きました。
私は、当時7ヶ月の身重でしたが、もし感染したら、すぐに帝王切開して、
赤ちゃんには感染させないようにしますと言われ、7ヶ月で帝王切開しても・・と、
血の気が引いたのを覚えています。慌てて、帰国しましたが、そのことを、香港人の友人に言ったら、
「結局みんな帰国してしまうのね。」と、寂しそうに言っていたのを覚えています。
その後、ガラガラの飛行機で(1列、私1人しかいませんでした。他の列も同じような状況です。
私の楽しみな空港のDuty Freeでの買い物もほとんどお店が閉まっていて、できませんでした。)
無事に帰国しましたが、帰国後は自分が黴菌扱いされてしばらくは、めげました。
帰国後1週間ほど後に、喉が痛く、出産検診の時にそれを言ったら、すぐに別室に連れていかれ、
そのまま地下まで連れていかれました。
なんか寂しい部屋だなと思ったら、霊安室の隣でした・・。
その後、お医者さんに問診を受けましたが、そのお医者さんも別にSARSのことなどまるで知らず、
20頁位の厚生省のマニュアルを見ながら、人に質問していたのを覚えています。
結局うがい薬だけもらって帰宅しましたが・・・。
その後、SARSも、3ヶ月程で、封じ込め宣言して、終息を迎えました。
そんな思い出もこのコロナに比べればかわいいものです。
SARS、またエボラなど致死率が高いために、世界に広まらず、封じ込めに成功しているのと、
コロナのように致死率が低いためにみんなが媒介者となり、世界中に広まってしまうのと、
今となってはどちらが良いのか分からないですね。
とりあえず、手洗い、うがいで、コロナに感染しないように気をつけましょう!!
参考資料:Hong Kong West Pano | This is one of my favorites… The Hon… | Flickr